芝浜

2020年の高輪ゲートウェイ駅オープン前後から芝浦・三田・芝エリアの再開発が活況を呈しています。 田町駅東口は特徴だった駅前の商店ビルが撤去され、msb Tamachiとして拡張を続けています。 三田側も札の辻スクエア聖徳学園の建て替え、第一田町ビルと徳栄ビルを潰して大型ビルを建設するTTMプロジェクトなどが進み、高輪ゲートウェイから一連のエリアの景色が一新することになります。

想定外の人口増加の影響で、もともと小学校としては異例のマンモス校であった「芝浦小学校」でもキャパが足りず、msb Tamachiの裏、スポーツセンターや総合支所の入るみなとパーク芝浦の一部エリアを改修し、「芝浜小学校」がこの4月にオープンします。

今日はこの「芝浜」の話。

みなとパーク芝浦の敷地内に芝浜小学校ができるわけですが、正確にはこの場所は「芝浜」ではありません。もっと言えば、現在「芝浜」を地名に持つ地域は存在しません。「芝浜」とは、現在の「芝浦地域(芝浦1丁目〜4丁目)」がまだ海(="浦")で、現在の山手線の線路の西側の位置に広がっていた浜のことです。

古典落語「芝浜」では、江戸時代にまだここらへんが芝浜と呼ばれていた頃に、芝の魚市場に早朝に仕入れに向かう際に主人公が見つけた革財布を巡り起こる夫婦の人情噺です。 f:id:yoshidashingo:20220113140806p:plain

その由緒ある、地名としてはもうなき「芝浜」をどこかに留めたいと、新設の小学校に思いを託す人たちがいることに小さく感動しているわけです。

なお、高輪ゲートウェイの駅名を公募した際に「芝浜」は「高輪」「芝浦」に次ぐ人気だったそうですよ。

話は逸れますが、芝浜小学校の立つ芝浦1丁目地域は戦後、埋め立て地に芝浜側から三業(料亭/待合/置屋)が移転し、雅叙園も建築され、周りの東芝や簗瀬などの工業生産や、港湾労働が発展したために大変栄えていたようですよ。その頃の見番が現在、港区立伝統文化交流館として一般公開されています。

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さて、落語「芝浜」に戻りますが、酒を飲んでは仕事を怠けていた主人公・勝五郎は、拾った革財布に入っていた大金をあてにさんざん酒を飲んで寝入ってしまいます。勝五郎が目を覚ますと財布もお金もなく、奥さんには夢でも見たんだろと言われる始末。

しかたなく酒代を返すために勝五郎は一念発起してまじめに働くようになり、いっぱしの魚屋を構え、お金に余裕が出るようになります。

3年ほど経った年の大晦日、奥さんが革財布を見せ、3年前に勝五郎がこれを拾ってきて酒を飲んだ日のことを告白します。奥さんは勝五郎がこの金をネコババしないように、実は密かに取り上げて役所に届けてたそうです。じきに持ち主が名乗り出ずこの財布は下げ渡されることになるのですが、このお金をあてにまたお酒を飲んで勝五郎が身を滅ぼすことのないように奥さんは今の今まで黙っていたのです。

元来魚を見る目に長けていた勝五郎は、この3年間、才能を発揮してお客さんを喜ばすために一所懸命に働くことで、仕事に対する喜びを再び取り戻すことができ、いっぱしに店を持つまでになっており、これはもう安心だろうということで奥さんはあの日のことを告白することにしたのです。

これに対して勝五郎は怒ることなく、逆に立ち直るきっかけを作ってくれた奥さんに大変感謝をします。

奥さんは大好きな酒とあての料理を準備して勝五郎を労うのですが、勝五郎は湯呑みについだ酒に口をつけようとする瞬間、また夢であっちゃいけねぇと飲むのをやめるという話です。

古典落語としてたくさんの人が演じていますが、私は桂三木助のものがもっとも好きです。いまや古典落語としてだけでなく、改編してたくさんのドラマや舞台にもなっています。聞いたことがない人はぜひこれを機に触れてみることをオススメします。

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さて、コロナ禍が3年目に突入する昨今、仕事のモチベーションが上げづらいと悩む人が多い中、シンプルで強力な3つの健全に働くための原則を提示しています。

  1. 自分を怠けさせる対象から自分を遠ざけること
  2. やる気を出してから働くのではなく、働き始めることでやる気が自然と出てくるということ
  3. 働く中で自分にとってのやりがいを自分で発見すること、そのやりがいを糧に中長期的によりよく働く習慣を繰り返し向上していくこと

数年放置しててブログを書く気が起きなかったのですが、なにか少し書くことでやる気が出るのではと思って私もこの「芝浜」を書いてみました。

なお、動くことでやる気が出る一連の効果のことを作業興奮と言います。そのいわれについては以下のnoteに詳しく書かれています。

note.com

私のキャリアをふりかえるとどうやら5年/10年単位に意味のある固まりになっており、ついに今年で20年目になったようです。つまり、2022年は来年以降を占う重要な変化の準備のための年になるだろうと感じています。

  • 2003-2012期【SIエンジニア】
    • 2003-2007年:ブラックな環境でひたすら開発したり炎上したりニアショアに監禁された修行期間。
    • 2008-2012年:フリーランスとして証券システムでサブシステム開発、基盤システム開発、大規模移行プロジェクトなどでスキルをいかんなく発揮した期間。
  • 2013-2022期【クラウド・エキスパート】
    • 2013-2017年:cloudpackでエバンジェリストしたりアーキテクトとして設計・構築をしたり、セクションナインでDevOpsやサーバーレスの開発・運用をした修行期間。
    • 2018-2022年:サイダスのCTOとして事業や組織に必要なあらゆる技術的な施策をいかんなく実施した期間(なお現職)。

私にとってそうであるように、皆様にとっても2022年が悩むよりとにかく始めてみる年」になりますように。

では。